(前編からの続き)
塾は人
と言われる。
塾というか、学校含め教育に関わる営み全てに言えることであるが。
使用する教材とか、カリキュラムとか、もちろん組織の規模が大きくなればそのようなシステム構築も必要だろう。ただ、それは多店舗経営によって増えた生徒を「統制」するためのものであって、ひとりひとりの生徒の成長を「促進」するためのものとは違うように感じる。
少なくともそれらの根底に土台として存在しているのは、やはり“人”だ。
塾の良し悪しとはつまり、そこで教鞭を執る人の良し悪しに他ならない。
人である以上、そこにはどうしても相性というのが生まれてしまう。
万人に好かれる人がいないように、塾もまた、万人に合う塾というのは存在しない。少なくとも私はそんな奇術のような力は持ち合わせていないとお断りさせていただく。
なんでもかんでも
「大丈夫です♪任せて下さい★一緒に頑張りましょう(^0^)握手」
なんて言ってくる塾があるとしたら、もはや詐欺に近いのではないかと個人的には思っている。
塾にはそれぞれ、できることとできないことがあるのだから、それらの基準を明確に示し、生徒・保護者・塾長の三者全員が了承に至らないと、たとえ通ったとしても思うように効果は上がらないし、変わってほしいと思う現実も変わることはない。
教材やカリキュラムを整えれば、何でも解決できるわけではないのだ。
そこで指導をする側と通う側とが、歩調を合わせて長期間やっていけそうか。通わせる側と引き受ける側とが、互いに情報を共有しながら協力していけそうか…
つまり人と人との相性をきちんと見極めなければ、通う子ども自身も、お金を払って通わせる保護者も、またそれを引き受ける塾の側も、みんな幸せになれない。
だからこそ、塾は積極的に内部の情報や塾長の考えを発信していくべきだと私は考える。
合わないと感じたら、選ばなければ良い話なんだ。その方が、家庭側にとっても塾側にとっても安心だろう。黙っていれば選ばれるなどという考えは、一昔前の殿様商売の極みだと思うから。
これから塾を選ぼうとする保護者の方は、塾の表面的なシステム面だけでなく、塾長の人柄をしっかりと見極めたうえでお決めいただければ幸いです。