私は小中学生のひとり勉強ノートを見る機会が、他の大人よりは比較的多いのではないかと思う(もちろん学級担任の先生を除く)。普段から教室で塾生のノートチェックをしているのはもちろんだが、夏休みや冬休みには、市の委託で小学生の宿題進行を監督する仕事も務めているので、その時にも多くの子どもたちのひとり勉強ノートを見る機会がある。
このひとり勉強ノート、名前こそひとり勉強ではあるが、子どもたちのノートの中身を見る限り、とても勉強とは言えない内容であることが多かったりする。「そりゃあこれを続けていたら勉強苦手になるよ……」と感じてしまう。
自分のところの塾生なら遠慮なく改善指示もできるが、さすがに市の委託でやる時にはそこまで突っ込んだことは言えない。このままこの習慣を続けたら、中学ではどうなっているんだろう……などとお節介に思いながらも、もどかしい気持ちを抱えたまま子どもたちをお見送りしている。
今回はそんな「勉強になっていない勉強『風』の作業」について、小学生によく見られるノートづかいの典型例をいくつか挙げていきたい。実りの薄い勉強「風」のノート作りを続けた結果、気付かぬ間に自力では何も勉強を進められない体質になっていた……なんて事例が少しでも減ることを願い、これを読む人の気付きに少しでもなればいいと思う。
ひとり勉強の力を奪うノート①
「教科書本文・問題文の丸写しをするノート」
全てに先立っていちばん多いパターンがこれ。
たとえば、東京書籍の小6の教科書『新しい社会6 歴史編』の中に、こんな記述がある。
「今に伝わる室町文化
【つかむ】銀閣の様子を見たり、金閣と比べたりしながら話し合い、学習問題をつくりましょう。
★足利義政が建てた銀閣
14世紀中ごろに鎌倉幕府がたおれると、足利氏が京都に新しく室町幕府を開きました。3代将軍足利義満の時代には、幕府の力が最も強まり、義満は中国(明)との貿易を行うとともに、文化や芸術を保護しました。……」
これをひとり勉強ノートに写すのである。1文字1文字、丁寧に。必要に応じて色ペンを使い、もちろん冒頭の「【つかむ】」の文章まで、もれなく丁寧に写し取る。子どもたちからすれば、社会科は「正直何やったらいいか分からない」ものの筆頭だろう。そのため誰が指示するわけでなくとも、自然と皆このようなノート作りをするようになる。
一方、算数でも同じような事例が見受けられる。
「右の表は、AとBとCの3つの公園の全体の面積とその公園の中にある池の面積を表しています。全体の面積をもとにした、池の面積の割合が小さい順に、A,B,Cの記号で答えましょう。」
この問題文も、全部ノートに写す。脇に印刷されている表も、定規を使って丁寧にノートに写し取る。
これによって、計算すること自体は大した手間がかからない問題であっても、写す作業のために、時間や労力、ノートの広い面積を費やすことになる。
これら2つの事例に共通しているのは、読めば済む情報を、読まずに丸写しているということだ。
そもそも教科書とは読むためにある。社会科や理科ならそれはいうまでもなく、算数の教科書も、式の立て方や考え方のお手本を参考にするための道具であって、問題文の書き方まで真似する必要はない。
本来読んで済ますべき文章や式を読まずに無心で書き写すことで、手はせかせかと忙しく動く割に、頭の方はそれほど活動していないという状態になる。それでは手段と目的があべこべだ。これが当たり前になってしまっている子には、まず以下の2点を言い聞かせる。
「教科書は読むための道具であること」
「ノートは問題を解くための道具であること」
これらを繰り返し辛抱強く伝えていくことが、習慣の改善指導初期の当面のテーマとなる。「繰り返し辛抱強く」とあえて書く理由は、子どもたちの中には「ノートを綺麗にまとめないと先生から注意される」という呪縛があって、それを解きほぐすのに一筋縄ではいかないからである。
一度の勉強時間において、丸写しする作業量を減らし、相対的に問題演習の時間を増やすようにしよう。頭を使って考える力は、そうした毎日の小さな行動の積み重ねの先にある。
(次回へ続く)
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