「王道の勉強習慣」とは何か。
普通の勉強ルールである。 以上。
……という説明でさすがに終わる訳にはいかないだろう。もう少し詳しく説明したい。
寺子屋塾生には、王道の勉強習慣として、以下の7つの行動に基づいて勉強を実践してもらっている。
1.教科書読み
2.問題演習
3.丸付け
4.ミスの記録(マーク)
5.反省と改善
6.再演習
7.試験前最終演習
やはりいたって普通の勉強ルールである。当たり前すぎるといってもいい。「寺子屋が独自開発した究極の●●メソッド!」などと豪語して一発当ててみたい気もするが、これじゃ当たり前過ぎて無理だろう。チッ。
だが、その「当たり前」の勉強を、何の手ほどきも受けていない子どもたちが、どれほど実践できているのだろうか。私はそれを問いたい。
小学校は中学年あたりから、いつのまにか「ひとり勉強ノート」なる宿題が、突如フワッと浮上してきた。しかしながら、何をどのように「ひとり勉強」すれば良いのか十分に指導を受けないまま突然「ひとり勉強ノート」が始まり、なんとはなしに課題に指定される。
右も左も分からない子供たちは、とりあえず教科書に書いてあることを、綺麗な字でノートにみっちり書き写すことからスタートする。あるいはそれ自体が指示された行為なのかもしれない。綺麗な字で隙間も空けずに教科書を写せば、先生は「とてもよく頑張りましたね!」と評価してくれるから、子供たちはそれが「ひとり勉強」だと思って、何年もそのような教科書の模写を続ける。
しかしその間、頭は全く使っていないのである。
一生懸命手は動かしているけれども、肝心の頭が回転していない。
試行錯誤がない。
自分で問題を解いて、自分で丸付けをすることがないから、自分の分からないことが分からない。
何が分からないのか自覚がないから、何かを自分で調べて新しいことを知ろうという発想に至らない。
新しい知見を獲得しないから、苦手な所は苦手なまま放置される。
勉強の借金は雪だるまのように膨れ上がっていく。
しかしそれを自分でどうにかする術がない。
担任の先生から与えられた宿題だけを捌いて、それらの苦手を克服しようとはどだい無理な話である。まずは本人に明確な自覚がなければ。
そんなわけでたいていの子は、一見すると当たり前のように見える勉強行為も、実際にそれをするのはかなり難しい。また、やらなければならないと頭では分かっていても、面倒臭かったりついつい自分に甘くなったりして、自分の意思でそれを継続していくのは至難の業じゃないだろうか。それは私たち大人だって、ついこの間のことのように記憶に新しいはずである(大人は永遠の少年/少女ですからね)。
だからこそ、その習慣をいちから鍛える必要があると、私は思う。
なんとかラーニングシステムとか、プロ講師が親身になってする個別指導とか、そんなスンバラシイ塾のサービス(皮肉)も、学ぶ子ども自身の勉強の体幹がしっかりしていなければ、目の粗いザルのように流れ出ていく一方だから。
王道の勉強習慣は、そうして確立された。
(次回に続く)
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